2/6午後、千葉大学教育学部附属中学校 令和7年度 教育実践交流会 「道徳教育ー個別最適な学びを取り入れた道徳授業の在り方ー」に指導助言者として登壇しました。昨年度に引き続いてのお声かけで、ご近所さんとしてとても嬉しいです(敬愛大から千葉大附属中までは徒歩数分)。なお、指導助言ということなのですが、今回公開された授業は、附属中×CHANGERSによる共同開発の教材(No.17「友だちと恋愛、どっちが大事?」)を用いたものであって、だいぶ当事者性が高かったです。

本教材は、女子中学生3人が恋愛にまつわる出来事からすれ違ってしまうというもので、そのすれ違いの様は、ある程度複雑なものとして描かれています。授業者は「このお話の中で、一体どういう問題が起こっているのだろうか?」という発問によって、複雑な状況を生徒たちに客観的・分析的に捉えさせていました。結果、脚本を描いたものとしては嬉しいレベルで、生徒たちがたくさんの考えを述べてくれたと感じました。まるでスットップモーション方式のように、各場面を丁寧に分析してくれたようにも感じます。総じて、一定の手応えを感じられる授業であったと思います。(半分は当事者なので評価がむずかしいのですが。^^;)

他方で、客観的・分析的な視点ではなく、共感的・触発的な視点で教材を捉えさせる可能性もあるでしょう。問題を客観的・分析的に捉える視点は、コメンテーター的なふるまいになるかもしれません。それでだめということではないのですが、コメンテーターとしてではなく、困っている登場人物の隣人・友人として、当事者として、共感的・触発的に想像力を働かせるということも大事であるはずです。特に、今回は人間関係に関わる問題が取り上げられていますので、後者の色味がより強くなっても、それはそれでおもしろいはず。たとえば「だめなのは分かっている。でも、どうして、そうせざるを得なかったのだろうか?」といったことを問う。人の哀しみに寄り添う思考です。「よかれと思って」「ついつい」「分かっちゃいるけど」「どうしようもなく」といった、人間らしさに思いを馳せる・・・。こうしたアプローチもあったのだと思います。単純に良い/悪いということではありませんが。

ーーー連想ーーー

道徳教育では、「心情追究型」の授業(教材の登場人物の心情理解に偏った授業)が批判的に位置づけられることが極めて多いです。次期学習指導要領改定へ向けてのWGでもそうした記述があります。しかし、このことについて私たちはどれだけ具体的に考えられているのでしょうか。よくある記述化し、思考停止に陥ってはいないかと思うこともあります。

いつもあれこれ悩みながら教材をつくっている者からすると、この問題の本質は、授業方法ではなく、教材にあるのではないかと思います。教師の伝えたい結論を体現する存在として登場人物が生み出されるのではなく、なんとも言えない人間の奥深さを教材としてちゃんと描けているのか。前者であれば、確かにその人物の心情を理解することにはさしたる意味はないかもしれない。後者であれば、その人物の心情をていねいに追う、共感的に考える、ということの意味は大きいはずです。登場人物に触発されるだけのリアリティある人物の心情を、教材として描けているかが問題なのではないか? 今回の授業づくりを経て、そんなことを改めて思いました。そんな方向性を思いながら、CHANGERSはこれからもがんばります笑。