※A幼稚園 園だよりコラムの転載です。

教師(先生、保育者など)という存在は、昔からさまざまな比喩によって語られてきました。聖職者、リーダー、コーチ、ボス、伴走者など、呼び方はじつに多様です。どの言葉を選ぶかというところに、その人の価値観や、その時代に大切にされている教育観がにじみ出るのだろうと思います。

最近、ある人が「妊娠中のシビレエイ」という少し変わった比喩をつかって注目をされていました※1。不思議に聞こえるかもしれませんが、「妊娠」というイメージは、実はギリシア哲学の時代から長くつかわれてきたものです。知識を外から教え込むのではなく、学ぶ人の内側にあるものを「引き出す」という考え方です。「産婆」が新しい生命の誕生に立ち会うように、最大限のケアと愛情をもって、その瞬間を支える存在。それが教師だという見方です。

この比喩がユニークなのは「シビレエイ」という部分。シビレエイは、自身の器官でビリビリと発電をすることができるそうです。一体どういうことか?――ここでいう「シビれる」とは、心が震える感覚のこと。子どもが「シビれる」ように世界に出会い、学んだり遊んだりできるかということ。そして、教師が子どもといっしょに「シビれる」ことができるかということ。子どもの発想を、「子どもだから」と甘く見るのではなく、「おもしろい!」「なんてことだ!」と本気で心震わされること。知識を暗記すればよいのではなく、創造的・探究的に学ぶ必要がある時代には、子どもとともに「シビれる」ことができるかということが、教師ひいては教育においてきわめて重要だという指摘です。

年度末が近づいてきています。背が伸びた、言葉が増えた、そうしたことも成長の証ですが、子どもが(あるいは子どもとともに)「シビれる」瞬間がどれだけあったかということも保育・子育ての充実を測る指標の1つになるのかもしれません。この1年、子どもの発想や動きに「シビれた」瞬間はどれだけあったでしょうか?(おそらく今月の生活展では、そうした場面やプロセスが紹介いただけるのだと思います!)

※1 Murris, K. (2017) Reconfiguring educational relationality in education: The educator as pregnant stingray. Journal of Education, 69, 117-138.