表題の公開授業が船橋市立飯山満中学校で開催され、一般参加者としてゼミ生とともに参加させていただいた。各教科・各学年で生成AIを活用した授業実践が行われており、それを自由に参観させていただいた。「ふところのひろさ」という言葉を思った。ちょうど大学でも生成AIをテーマとした授業に取り組んでおり、学生らはそれを受講もしており、刺激となったのではないかと思う(本筋とは違うが、コロナ後ということを実感する)。もちろん私も大いに学ばせていただいた。授業後のアンケートに、とても簡単ではあるが次のことを書かせていただいた。生成AI活用においても、探究においても「遊び」こそが重要であると思う、今日このごろである。いつもの話になるが、「A幼稚園の子ども」の姿をそこに見たいのである。そして生成AIもちゃんと『おもちゃ』になったらいいなとも思う。

・幼児教育にもかかわっており、遊びながら学ぶということや、学びの中の遊びの要素などに関心があります。子どもたちは教師の指示のもと生成AIを使いながら様々なことを学んでいましたが、その中でかれらがどのように遊んでいるのか・遊ぼうとしているのか・あるいは遊べていないのか、ということを考えたいと思いました。
・また、遊びの場においては、ルールに従うプレイヤーだけでなく、荒らしたり、ふざけたり、いんちきをしたりするプレイヤーが必然的に存在しうるという話もあるのですが、生成AIの活用がはじまった今の段階(みんなルールを探りつつルールに従って行動している)から進んでいくと、今後は上のような現象について検討する(それをおもしろいと歓迎する、あるいは、学びのノイズとして排除する)ことになっていくのだろうか、と考えました。そのときにどういう議論がおこりうるのかに興味があります。
・いくつかの授業から、アートあるいは何かを作るということと、生成AIの相性はよいように感じました。
・何度か先生方が「チャットさん」「ChatGPTさん」と呼んでいたのが印象的でした。ここから、生成AIがどういうキャラなのかということを、おおまじめにもっと考えてみるのもおもしろいだろうと思いました。