※幼稚園園だよりコラムの転載です。

「夏休みだ! 一日中ゲームができる!」……と言う幼児はあまり多くないかもしれませんが、小学生くらいならそういう夢を見ている子もいるでしょうか。

ゲームに関する大きな動きがありました。先月、世界保健機関(WHO)が、生活に深刻な問題をおよぼすほどゲームに依存してしまう状態を「ゲーム障害」(Gaming Disorder)という名で疾病の1つに認定しました。世界共通でこの言葉が使われていくことになります。予防策も様々に講じられていくでしょう。

気づけば、私たちの生活にはかなりの程度ゲームが浸透してきているようです。通勤の電車をちらっと見渡すと、LINEやニュースアプリ、SNSだけでなく、ゲームをしている人がかなりいるように見えます。昔のゲームはテレビの前にすわってやるしかありませんでしたが、今はスマホでいつでもどこでもできますね。かつてある有名ゲームのキャッチコピーに「大人も子供も、おねーさんも」(遊んでほしい)というものがあったのですが、もう若者もおじさんもおばさんも、時には幼児だって……ゲームに親しんでいる人は以前よりかなり増えているはずです。

最近のゲームは、スマホで遊べたりオンライン機能があったりと、ファミコン時代のものとはかなり異なっています。その特徴を「パチンコみたいだ」という人もいます。アイテムが当たる確率が裏で調整されており、当たった時にはものすごい喜びを得られるように設計されている。課金も容易。ギャンブル的要素が強いということです。だとすると、「きっと次こそは……!」と、やめられなくなる人も増えているんだろうな……と想像することは難しくありません。みなさんは、みなさんのご家庭は、大丈夫でしょうか!?

このように書いてくると「ゲーム禁止」論者だと思われるかもしれませんが、私自身もよくゲームをしますし、それがよい気分転換にもなります。友だちとゲームで笑い合うという経験もたくさんしてきました。視野を広げれば、重要な産業の1つとしてゲームの価値を語ることもできるでしょうし、教育分野においてゲーム的な学習方法の効果が期待されているということもあります。これだけ浸透しているからには、良い面もあるはずです。

私たちの生活の中に、これまでとは違う様相で浸透したゲームという文化について、それぞれの立場において丁寧に多面的に考えていく必要があると考えます。「ゲーム障害」という言葉が生まれたからといって、いたずらに「ゲーム=悪影響、禁止!」と叫ぶのでは本質を見誤ってしまうでしょうし、一方で「ついやっちゃう、やめられない」で困らないよう「適切な付き合い方」を探っていく必要もあります。その「適切な付き合い方」も、人によって、家庭によって、かなり異なるだろうと思います。

なお、幼児期に初めて触れるメディアとの「出会い方」が、その後のメディア認識に影響を与えるのではと考える人もいます。子どもにとってゲームとは、暇つぶしの道具なのか? 気分転換の道具なのか? アートの舞台か? もうひとりの保護者か? どのようなものとしてスマホを渡しているでしょうか?

参考文献:『ゲンロン8:ゲームの時代』ゲンロン