学内で初年次教育に関する研究プロジェクトが立ち上がっており、担当者として昨年度から初年次教育学会の全国大会に参加し情報収集をしています。今年度は9/5(水)〜6(木)酪農学園大学(北海道)での開催でした。ご存知の通り、この前後、台風21号と北海道胆振東部地震に遭遇しました。ここで感じた防災意識を忘れないためにも、雑駁ながらメモを残しておきたいと考えました。(あくまで阿部が感じたことを書いております。情報の正確さは保証できません)
なお、私は旅行客として北海道を離れましたが、現地で暮らす方々は今も大変な状況にあると思います。皆様の無事、安全、健康、そして北海道の復興を祈っております。
9月4日(火)。
9/5(水)から学会開催。2日間の短い学会でもあり、初日朝イチのワークショップが興味深い。前日入りすることにする。早めではあるが、比較的安価であった9/4(火)12:00羽田発の便で経つ。往路は無事、新千歳空港着。台風が迫っていたが、早めの便だったことが功を奏し何ら影響なし。空港で味噌ラーメンを食べ、すぐ札幌駅へ移動。ホテルは駅のすぐ近く。締切が迫っている仕事がいくつかあったため、ホテルの部屋で作業。少々手こずり、夜までかかってしまった。何か食べようかと外へ出る。部屋にいると気づかなかったが、風がどんどん強くなってきている。食事を終え、ホテルに戻り、翌日のプログラムを確認し、就寝。
9月5日(水)。
起床。その後まず何をしたか順番は忘れてしまったが、たしか最初はJRが運転見合わせであることを知る。想定していたルートでいけないなあ、どうしようかなあ、と考える。そのうちに、別ルートのバスで向かおうとしていた同僚(別ホテル泊)や、大学からの転送メールにて(機関会員のため、学会からのメールは大学事務に届き、逐一転送してもらうようになっていた)、台風の影響で会場が停電となり午前のプログラムが中止となったことを知る。
午後は開催とのこと。ルートを調べ、会場へ向かう。午後の全体会、一般発表などを聴講。夜は同僚とジンギスカンを食べる。あまり普段いっしょに行動する機会もないため、さらに別のお店に移動し、歓談。有意義な時間であった。
9月6日(木)未明から。
そしてホテルに戻り、就寝。そして3時頃に地震。札幌は震度6弱だったか(要確認)。はてさて、酔っ払っていたのか免震構造が優れていたのか、確かにかなり大きく揺れたという認識はあったが、これままずい!と飛び上がる程ではなかった(なお、15階)。部屋の中もシャンプー1つ落ちただけ。あるいは、東日本大震災以降、大きな地震というものに慣れてきてしまっているのだろうか。
常備灯というのだろうか、その消し方が分からず部屋の中は明かりがつきっぱなしでもあり、停電したことに最初は気づかなかった。うーん朝早いのになあ、なんてのんきに思っていたら、そのうちに館内放送。かなり大きな地震であったことを知る。英語、中国語でも放送が流れる。大きな余震が来たら浴室に入るよう指示がある。深刻な事態であることを認識し始める。(このあたり、スマホで何をどう調べたか、よく覚えていない。)
6:48、ANAより、6日(木)夜の復路が欠航になったとのメール。全便欠航らしい。欠航自体はじめての経験である。とりあえず大学の上司にメールで状況を報告。別ホテル(別の駅でもある)の同僚にもメール。同じく停電で身動きがとれないとのこと。函館空港、新幹線など別ルートでの帰路をメールで相談する。しかし、高速道路通行止めらしい、ガソリンスタンドは営業しているのか、などの懸念もあり、どうしたらよいか分からない。土地勘がなさすぎて判断ができない面もある。決定的に問題なのは、電池残量が不安になり積極的に調べられないこと。とりあえず、一旦待機することに。
そのうちに、家族、知人も起床したのか、LINEなどで連絡が入る。交通情報などを送ってもらうが、基本的には麻痺している。学会中止のメールも朝のうちに転送される。
ホテルからアナウンス。いまあるだけの朝食を提供してくれるとのこと。朝食なしプランの人も可。朝は食べたり食べなかったりという人間だが、今は食べておこうかと。15階から階段で1階におり、小さいパンとスイカ一切れを食べる。気を使い、少なめに。ホテルの方々は笑顔ではつらつと道案内をしている。なお、ホテルでは、階段のみ使用可の状態から、非常用のエレベーター1基が開放されるようになり、最終的にはお客様エレベーターも開放された。
困ったのはトイレ。水が出なかったため、室内のトイレその他も使えない。ホテルのあったビルの地下1階のトイレのみ、水が流れるとのこと。皆そこに行く。混雑はそれほどしていなかったが、どんどん匂いがこもるようになっていった。私はトイレが近い体質なので、頻繁に行くことになった。面倒であった。水を控えようと意識した。(最初、地下1階を目指した際、違った道を進んでしまい、地下倉庫のようなところへ出てしまった。知らないおじさんとともにさまよい、ドラマでよくあるような事件を追う(追われる)場面のような気もして、少し楽しかった)
階段やエレベーターを使うと、外国の方もたくさんいたのだと気づく。皆、大丈夫だろうか。→途中から、語学に堪能なスタッフの方が出勤されたのか、専用の相談窓口がフロントにつくられていた。
スマホの充電器を手に入れた方がよいというLINEをもらったり、何か食料を確保した方がよいとも思ったりしたため、街へ出てみる。札幌駅近辺は、私の見た限りだが、目立った物的損傷はなかった。信号は灯っておらず、慎重に横断をする。少しうろうろしたが、コンビニはほぼ閉店。セイコーマートと、ローソン1店のみ営業していた(と記憶している)。充電器はもちろん売り切れ。この時点ではセイコーマートには馴染みがなかったので、ローソンに並びパンとペットボトルを少量だが購入。外国の方も含め、大量に押し寄せていた。アジア圏の方々がとても多いという印象。一人店から出たら、一人入れる、というように入店制限されていた。暴動はない。札幌駅にも寄ったが、早くも開放されており、毛布のようなものが配られていた。競馬場のようだ、と思った。
ホテルへ戻り、電池残量を気にしつつ、家族や友人から情報を得る(なお、このあたりでは、PCの充電もあったため、言うてもそのうちに停電も復旧するだろうし、なんとか持つだろう、と思っていた)。帰りの手段を確保した方がよい。新千歳空港は復帰するかこの時点では分からない。函館空港は、フェリーは、などと可能性を検討するが難しそう。同僚と別ホテルのため瞬時に動きづらかったということもある。妻が職場の方からアドバイスをもらい検索をしてくれ、9日(日)の丘珠空港→静岡なら2席(同僚分)とれるとの情報。静岡か、と思ったが背に腹は代えられないとも思い、押さえてもらう。それにしても丘珠空港のことははじめて知った。最低限、9日(日)には帰れることになった。が、「あ、9日まで帰れないんだ」と改めて事態を自覚する。8日(土)に、私が主たる担当者となっていた学内のFD研修会があり、上司と講師とメールで相談の上、その他の事情もあり中止とした。まだ電池は生きている。
昼過ぎになり、朝購入したパンを1つ食べようかと思ったが、9日(日)まで滞在ということ、充電の不安、もありとりあえず我慢する。大食漢でなくよかった。その後もスマホで情報収集するものの、やはり良い帰路は見つからない。ちょっと検索、すぐ機内モード、ということを繰り返す。残量を見て、PCからスマホへの充電も始め出す。少々不安になってくる。某所から、来週の会議出られるかという電話もあり、分からないと回答。この分、電池を消費した、という感覚。電池残量という制約を加えるだけで、日常生活がこんなにゲーム的になるのかと思う。リアル・サバイバルゲーム。
やることがない。本を読もうかとも思ったが(旅行中、宍戸健夫『日本における保育カリキュラム』の久保田浩氏のあたりを読み込もうと思っていた)、数ページ読み、後は気がのらない。自分で言うのも変だが、致し方ないか。朝早く起きてしまったので、午後は少し仮眠もとった。部屋はもちろんエアコンが効かずやや暑い。多くの部屋がドアを開放し、タオル等で中が見えないよう仕切りをつくっていた。私も見習う。しかしながら、この時期の北海道のこの気候は、不幸中の幸いであった。真夏の東京の暑さだったらと思うと、恐ろしい。
さて、ホテルはいつまで滞在してよいのか(6日(木)チェックアウトの予定)。何度かフロントまで行き、問い合わせた後、本日6日(木)は3000円で延泊してよいとのこと。お願いする。とりあえず居場所がある。ふわっと安心感が広がる。(同僚のホテルは、ロビーを開放して滞在可だったよう)
夕方、さすがにお腹も空いてきて、そろそろパンを食べようかと思いつつ、スマホを見ていると、Twitterに狸小路のあたりでラーメン屋がやっているとの情報あり。少し前の時間の情報だったため、もうやってないだろうなと思いつつ、やることがないので、そのあたりへ散歩に出ることにする。最終的にホテルに帰ってくればよいため、散策の余裕が出てきたか。まだ外は明るい。
該当のラーメン屋はすでに終了していたが、カセットコンロやビールサーバーを出し、露店のように営業してくれている店がいくつかある。行列になっているところもある。露店バーでは、わいわいお酒を飲んでいる人たち多し。楽しそうだ。私もビールをいただくが、トイレは使えないとのことで、たくさん飲むのは自粛。ポテトや枝豆なども食べることができ、それなりに満腹感。基本的には一人で行動していたため、楽しげな人の様子を見ながら飲食できたのは、大変ありがたかった。たまたま出会った店で体力を回復する、なんてゲーム的か。そのうちに空は暗くなり、懐中電灯で店内を照らすなど。なお同僚のホテルは夕食を出してくれたらしい。
暗い道をホテルへ帰る。基本的にはかなり暗い。アーケードのところには、野宿をするであろう人たちか。思ったより人が多くうろうろしている。なんだか龍が如くのようだと思う。FOREVER21のビルは電気がついていた。時折そういう場所もある、という感じ。公衆電話が無料開放されたという情報を得ていたため、帰り途中、家に無事だと電話をしてみる。10円は入れなければならず、通話後返ってくるシステムだった。
この間、いくつかの帰路をおさえようとチャレンジしたり、関東の友人にしてもらったりするが、予約しようとすると先に奪われているということが続く。おとなしく9日までいるかと思う。
ホテル着。当然ながらここまでお風呂に入っていないが、仕方なし。ペットボトルの水で歯磨きをし、気持ちだけ顔を洗い、就寝。トイレに何度か起き、その度に地下1階へ。常に誰かいる。
9月7日(金)。
緊張感や疲労感があるのか、かなり早く起きる。「セイコーマートが神」という情報をネットで得ていたため、最寄りの店舗6:00開店へ向けて外へ出る。少し遅れて到着するともうかなり並んでいる。それでも、店舗内でおにぎり(通常販売のもののよう)をつくってくれており、個数制限もなく、4個買わせていただく。インスタントのワンタンスープ、水とお菓子なども常識的な範囲で購入。1時間ほど並んだが、これで朝と昼は問題なし。ポットでお湯も出してくれていた。外のスペースで朝食分を食べる。それなりに食べられている。テレビ局かどこかの撮影隊が近くにいて、取材されるかと寝癖に手ぐし。しかしスルー。構わない。
札幌駅近辺、電気は通ってきている場所もあるよう。当ホテルは、まだ。朝になったら電気も通ってるだろうという甘い見込みが打ち砕かれる。不幸なことに、PCがバックグラウンドで何か動作していたのか、バッテリーがかなり少なくなっていた。これは失敗した。ピンチ。いよいよまずい。誰とも連絡がとれず、何の情報も得られなくなる。
と思っていた所、8:30くらいだっただろうか、ぱっと電気がつく。電気が通った!と感激。早速充電。館内放送も入る。しかし水が出ない。我慢。それでも、電気が通ったならありがたい。今日も延泊させてもらえないかとウキウキした気分でフロントへ。ところが、延泊NG。昨日もOKだったため、今日もOKかと甘く見ていた。ロビーも開放しないとのこと。理由は「もう色々限界なので」。昼には完全撤収が求められる。避難所を勧められる。割と強く言われてしまい、取り付く島もないという感じ。ちょっと怖かった。いよいよサバイバル感が強まってきたな、と思う。ただ、この気候なので、野宿でもなんでも大丈夫だろうかとも思う。しかし、予報は雨。なんだか頭が働かなくなってくる。
仕方ない、時間まで充電しようと部屋に戻ると、ゴポゴポと音が聞こえる。水が通った。急いでシャワーを浴びる。心地よいことこの上なし。思い立って、ここまでの状況を語る動画をとり、SNSに上げるなどしてみる。(NYにいる友人から見ましたと連絡があり、いい気になって後でもう1つUPする。最後空港でも撮影しうようと思ったが、人が多いと恥ずかしくてできない、YOUTUBERにはなれない)
そんな中(時間は定かでないが)同僚が9日(日)の新千歳→羽田をとってくれた。9日(日)ではあるが、丘珠→静岡よりは良い。新千歳空港およびJRが動き出すという噂はあり。ただし、万が一新千歳空港へ行けないと困るため、丘珠もキープしておくことにする(私の知った範囲では、このようにいくつかのルートをキープしていた方は非常に多かったよう。それにより互いに困ったり助かったり、色々だとは思うが、あの状況では何が正解か分からず仕方のない判断かと思う)。そして、私の寝床を心配し、8日(土)の恵庭駅近辺のホテルもとってくれた(各駅が動くだろうとの見込みのもと)。本日7日(金)は空いていなかったらしい。このあたりから、若干「賭け」の要素が出てくる。
とりあえず、撤収の時間まで充電しつつ待機。すると、関東の友人が本日7日(金)のホテルを探してくれることに。しかし、札幌駅近辺は、数万円と高騰した部屋がネットには出るが、やはり先に奪われる状態。曰く「秒でうまる」とのこと。仕方なし、避難所へ行こうかと思っていたら、恵庭のとなり島松駅ちかくに、素泊まりの一軒家があり、空いているとの情報。各駅しか泊まらない駅なので、万が一各駅が動かなかったら(快速空港行きはすでに動いていた)困るとも思い悩んだが、島松(7金)→恵庭(8土)→新千歳空港(9日)と、それぞれ数時間歩けばたどり着くようで、それももちろんつらいのだが最終的にはなんとかなるだろうという見込みと、何かサバイバルゲームをしているような感覚にもなり何か行動してみたくなり、宿をとってもらい移動することに。雨予報の中、避難所と野宿を免れる。(土地勘がないので、避難所の場所もよく分からないこともあり不安であった。同じく充電場所の情報も。情報を得ても、そこがどこかスマホで調べなければならない。旅行客として被災すること特有の大変さもある)
この他にも、たくさんの方が情報をくださったり、宿泊先を探してくださったりしました。メッセージをくださったことが気持ちの救いとなっておりました。感謝申し上げます。
ホテルを経つ。当初言われていた延泊分の3000円は、ナシでよいとのこと(気持ちとしては30000円出しても泊めてもらいたいと思ったが、でも1泊させてもらっただけでも感謝と自分に言い聞かせる)。やはり各駅が動くかはどこか不安。その不安と、いざゆかんという勇んだ思い、相反するような思いを抱えたまま移動。(結果、この判断は良き結果につながったのだが、何が冷静で最良の判断であったかは、分からない)
札幌駅からタクシーで島松へ向かう(見込み50分)。駅では、「小樽に行く人〜」「新千歳いきませんか〜」のように相乗りを求める人たちが多々。本当はそんなに遠くまでは行きたくないが、とタクシー運転手さんに言われたが、でも乗せてくれた。途中、色々と話を聞く。道路はいつもよりぼこぼこしているらしい。こういう時は普段運転しない人も道路に出るだろうし、信号もないから危険。こういう時は人助けだから。等々。途中、積極的に促されて寄ったコンビニでは、電気がまだ通っておらず、手作業で値段を調べ会計をしていた。15分ほど待っても1人の会計が終わらないため、購入は諦めた。
無事、島松着。本当に普通の家であった。家の前には、同じく宿泊客かと思われる人。台湾からの旅行客夫婦2人であった。管理人さんは中国の方で、思ってもいなかったので最初は驚いた。こちらに長く住んでいる方のようで、日本語でお話でき、安心。ところがまず、「相談があります」とのこと。予約サイトでエラーがあったのか、私の部屋がダブルブッキングになっていたとのこと。幸い大部屋だったので問題ないが、はじめましてのお2人と泊まることになった。まあ、良し。その後次々と同じような状況でたどり着いた方々ややってきて、家には計10名ほどが宿泊。
この家は電気がとおていないが、ガスは使えるとのこと。また、近くまで電気は来ておりそのうちにつくだろうとのこと。近くのスーパーは縮小しながらかなり通常に近いかたちで営業もしているとのこと。また、管理人さんがおにぎりなどを用意していてくれた。この調子なら電車も明日には通るよとの予想。そうでなくとも、タクシーは止まっているし、昨日から泊まっていた方がレンタカーを借りておりそれで送ってあげるよ、とのこと。じわじわ安心感が出てくる。
このタイミングで同僚からメール。9日(日)から、8日(土)18:30の新千歳→羽田の便に変更ができたとのこと。明日、帰れる。安心が充満する。少し、楽しくなってくる。
結局今やれることはないため、他の宿泊客数名に声をかけ、近所のスーパーへ。食べ物やお酒を買う。付き合ってくれる方々でよかった。なんだかゲームのステージが変わったよう(被災ゲームから共同生活ゲームへ)。ある方々は、ここにたどり着くまでにお菓子をつまむくらいしかできず、普通のモノが食べられるのが滅茶苦茶嬉しいと言う。食に関しては、自分は恵まれていたのだと感じる。
料理が好きな方もおり(台湾のおじさまも)、希望者でリビングにあつまり、それぞれが購入したものを惜しげもなく出し合い、暗闇の中で一緒に食事をする。ここまでどうしてきたか、ここからどうやって帰るか、などを話す。みなストレスがあったのか、また共通の体験をしてきたからか、初めての人同士でも会話は大変盛り上がった。大変楽しかった。そろそろ寝ようかというときに、電気も復旧。お湯の出るお風呂に入ることができた。
補。2組は地震の後にレンタカーをすぐ借りたらしい。最悪そこで泊まれるし、充電もできる。借りたられるのであれば、レンタカーは役立つと学んだ。また、家には手回しラジオ、充電器がおいてあり、こうしたっものは我が家にも置いておこうと思った。
9月8日(土)。
余裕をもって起床。テレビを見ながらみなでああだこうだ話す。各自の都合で旅立っていく。もう会うことのない人たちと、唯一の体験を共有する。朝は台湾のおじさまが作ってくれたものを食べる。昼前に、ある方にレンタカーで空港まで送ってもらう(その方は昼過ぎの便。私は18:30の便だが、念の為早めに空港へ。そこで同僚と合流予定)。ありがたい。多少時間に余裕あるとのことで、恵庭の道の駅近辺へ行ったら、サケの水族館が営業中。おそらく修学旅行中の高校生たちが入っていった。私たちもせっかくならと参観。カエルブースがあった以外はそれなりに楽しめた(本当に本当に本当に本当に苦手)。
昼には新千歳空港に着。その方と別れる。会話のテンポがあう方で、たのしい時間を過ごせた。感謝。握手をし、さらば。空港は、上のフロアほど暑い。外で待機。その後、同僚と合流。夜の便を早められないか、ANAのサイトを見てみるも、どうもうまく変更手続きができない。直接職員の方に聞いても、「分からないので、変更手続きの列に並んでください」とのこと。並んだらその便に間に合わない。変に操作して大変なことになってはまずいと思い、時間を潰すことに。空港で少し話したが、暇。電車はもう普通に動いていたため、少し移動してみることに。千歳駅前のガストが空いており、そこで時間をつぶす。
そしてまた空港へ移動。もっていた未開封のペットボトルは、空港に泊まっているであろう方にさしあげる。声をかけて怪しまれるかと思ったが、みなありがたいともらってくれた。手荷物検査を越えたあたりでは、たまたま見ただけかもしれないが、ダンボールにはいったペットボトルなどがガンガン運ばれており、復旧を実感する。お土産も買えた。搭乗前に余震があり、少し出発が遅れたが、無事羽田へ。新千歳空港も暑かったが、東京の方が暑いと感じる。そして、ここにきてぐったり疲れを実感する。緊張していたのだと気づく。
その後。
帰宅後のこの1週間は、偶然にも出張や会議が続く週で、帰ってきてからの方が眠る間がない。なんとか乗り切れた。少し休みたいが、そろそろ後期授業も始まる。被災は大変な経験ではあったが、日常も日常で大変だ。でも、自分は自分のやることをやらねばならない。
改めて振り返って思うのは、何よりも電気が重要であったということ。7日昼までは、常に電池残量を気にしながらの生活。充電さえできれば、スマホであらゆる情報を収集・発信できたと思うのだが、何もできない。動きたいのに動けない。お金に関しても、日頃はSuica、Apple Watch頼みになっているのだが、今回たまたま現金を少し多めに持っていたので助かった。学生やNPOを指導する身として、防災対策について考えたいと思う。
スマホについて。もし、スマホをもっていなかったらと考える。ガラケー事情はもう分からないけれど、ネット検索ができず、電話(+SMS)くらいでしか連絡がとれなかったら、不便極まりない。そうした方にはそうした方なりの情報収集方法があるのかもしれないが、遠く離れた地では難しいではないか。ロビーや駅に張り付くことになっていただろうか。社会の方もスマホで検索しやすいように情報を出してくれるだろう。結局電気がないと使えないスマホであり、日常的にもそれに依存しすぎることはまずいと思う一方で、現代的なメディアを手になじませておくことは極めて重要だと感じた。
何よりも、まさか自分が出張中に被災するなんて。もちろん1mmも想像していない。まして今回は台風を乗り越えての地震。直接そう言語化して認識していた訳ではないが、一度災害があったら、次は同じ地ではしばらくないだろう、と思いがちでは。何が起こるか分からない。何かが起これば実存が変わるほどにそのことを認識する。でも何かに遭遇するまでそのことを肝に銘じ切ることは難しい。それでも教育研究に関わる者として、今回の経験を自分なりの仕方で伝えていけたらと考える。(たぶん、このようにダラダラ自分目線の事実を書き記していくことが、その一つの仕方なのだろうと思う)
おまけ。日頃からわりとラフな格好をしており、今回もTシャツにジャケットといった感じであった。もしびしっとスーツで乗り込んでいたら、ホテルを出た後の移動、就寝の際は面倒だっただろうなと思う。特に行き帰りの日はジーンズを履いていこうと思っていたのだが、このジーンズ、最近話題のZOZOスーツで計測して作成したもの。身体にピッタリなため、ZOZOのおかげでストレスなく過ごせた、かもしれない。ありがとうZOZO。