(A幼稚園の園だよりコラムの転載です)

保育という営みを説明する言葉には、様々なものがあります。子どもの活動を「遊び」と捉え、その楽しさを語ることもできるでしょう。一方で、同じ活動を「学び」として捉え、そこにどんな教育的意義があるかと考えることもできるでしょう。これまでたくさんの人たちが、たくさんの言葉で保育を語ってきました。それだけ、保育とは奥深い営みなのだと思います。

私は、「リアリティ」と「ファンタジー」という2つの言葉を使うことで、見えてくるものがあると考えています。A幼稚園にお邪魔するようになって使うようになった言葉です。説明します。

まずは、「リアリティ」についてです。子どもの遊び(学び)を生み出したり、展開させたりする原動力とは何か? それは、第一には「リアリティ」の追求だと思うのです。たとえば、◯組の保育室では、「無印良品」「チームラボ」など、現実に存在するものが再現されようとしています。子どもたちは、リアルな世界をちゃんと見つめていて、憧れていて、そしてそれらを自分なりに表現しようと試行錯誤を繰り返します。「リアリティ」を追求しようとすることが、遊びをどんどん面白いものにしていきます。「その子が求めている「リアリティ」とは何だろうか?」と問うことが、その子を理解することにつながったり、教育の指針となりえたりします。

その一方で、「リアリティ」の追求ばかりに注目していては、遊びは息苦しいものになってしまいます。いくら子どもたちが「無印良品」を再現したくとも、リアルな商品を大人が買い与えるばかりでは、遊びにはなりません。子どもたちは遊びの中で「無印良品」を追い求めるのですが、その行き着く先はリアルな「無印良品」そのものではなく、あくまで自分たちの手で作るもう1つの『無印良品』である必要があります。「無印」だけど「無印」じゃないという「ファンタジー」が必要なのです。「リアリティ」を追求しつつも、もう1つの「ファンタジー」世界を同時に生きることになるのが、保育の奥深さなのだと思います。

「ファンタジー」にはもう1つの出番があります。主に行事の時です。◯組の林間保育や、この後に開催される運動会では、それぞれファンタジーあふれる不思議な出来事が子どもたちを別世界へ誘います。行事というのは、子どもからすると強制的に発生するイベントでもあります。そこで子どもが困惑したり不安を抱いたりしないよう、「ファンタジー」のちからが大きな助けになりうるのです。単に場を面白おかしくしたいとかそういうことではなく、子どものための「ファンタジー」なのですね。

今回は、「リアリティ」と「ファンタジー」という言葉を紹介しました。これらは、実際はもっと複雑に、重なったり混じり合ったりしながら存在しています。保育を見つめる1つのメガネとして、手元においていただければ幸いです。