※A幼稚園 園だより掲載コラムの転載です。

子どもが様々なデジタル・メディアにかこまれて生活をする時代です。ほうっておいても勝手に出会ってしまうものではあるのですが、実際に我が子をデジタル・メディアにどう触れさせるかというのは、なんとも難しい問題だと考え込んでしまいます。少し前に、オーストラリアで16歳未満の子どものSNS利用の禁止されることがニュースとなっていました。こういうニュースを見ても「確かに危険性はある、賛成」という思いと、「いや、それは個人の自由だし、使いながらリテラシーを高めていくことの方が重要なのでは」という思いが同時に浮かんでいきます。

乳幼児期においても「ある程度の時期まではメディア視聴は避けるべき」という説もあれば、「発達への影響は限定的だ」という説もあります。また、家庭によって状況は様々だと思うのですが、現実には「あんまり触れさせたくないけど、状況的に仕方なく見せている」ということも少なかろうと思われます。ちょっと後ろめたい気持ちと、でも仕方ないじゃんという思いが同時に浮かびます。

いったい何が「ベスト」なのか私も分かりません。ネットで紹介されるような言説も、まったく違ったことを言っていたとしても、それぞれにおいてはその分野の研究方法で明らかになったまっとうなことなのだろうと思います。それらを統合的に分析・解釈することは、私をふくめ「素人」には難しい。なおさら、不安は募ってしまいます。(研究というのはこの問題へのアプローチを常に考えるべきだと思うのですが、それは余談)

研究は確かに一つの成果なのでしょうが、メディア社会を子どもと生きる者として、現実的で素手感覚な思考をする必要もある。

では、どうするか。こうした難問を前にして、私が「考えるヒント」にしたいのは、(イヴァン・イリイチという人が語った)「二つの分水嶺」という考え方です。テクノロジーには、それが良いものか/悪いものかという一つの分岐点があるのではない。そうではなくて、①「うまく使いこなせる」というレベルと、②「テクノロジーに使われている」というレベルの、「二つの分水嶺」がある。そして、そのあいだには「ちょうどよく使えている」という「幅」がある。という考え方です。

この「幅」におさまっているかどうかはまさに状況によってしまうので、なんとも曖昧な理論だと思われるかもしれません。でも、そのことこそが問題の本質であって、メディアへの触れ方が「よい具合」におさまっているかどうかという<議論>を常に繰り返すことこそが、子どもとデジタル・メディアのよい関係をつくる基盤となるように思うのです。むしろ、議論や不安がなくなったときに、問題が生じてくるのかなとも思います。「よい具合」の「幅」を探るための議論を続けること、わかりやすい答えはないけれど、そのこと自体が大事なのではいか。

みなさんはどう思われますか。