※幼稚園園だよりコラムの掲載です。

運動会が終わったあたりから、お部屋での遊びがぐっと深まってきますね。子どもの「遊び」は「学び」そのもの。お部屋の中、遊びに没頭する子どもを見ると、「学び手」としては大人よりも子どもの方が優秀だ!……と感心させられます。

なぜだか、子どもの遊びの中には、勝手にどんどん展開していくものと、あまり深まらず消えていくものがあります。どんな経験も大事な経験だとは思うのですが、できることなら遊び込む子どもの姿を求めたいものです。

これまでA幼稚園を見てきて、子どもたちの遊びには、「ホンモノ」を追求するプロセスと、「ニセモノ」であることを受け入れたり楽しんだりするプロセスがあると感じています。そして、うまく遊びが続いていく時には、「ホンモノ」と「ニセモノ」のプロセスを頻繁に行ったり来たりしているように私には見えます。

たとえば、今T組さんのお部屋には、本格的なドレスをつくろうとしている子たちがいるようです。是非ご覧になっていただきたいのですが、大人顔負けの発想で、素敵なドレスが製作されてきています。「あんなドレスをつくりたい!」と、「ホンモノ」に憧れ、自分たちなりに「ホンモノ」らしさを追求してきたのだと思います。
しかし、もちろん子どもの技術の限界もあります。「もっとふわっとしたドレスをつくりたい!」と思っても、なかなかうまくいかない。ああだこうだ考えを巡らせ、自分たちなりの製作方法を編み出していく。すると、どうも大人が考える「ホンモノ」のつくり方とはちょっと違う、ヘンテコなつくり方が発明されていく。「ニセモノ」であることを受け入れるプロセスに入っていきます。
このプロセスを楽しめるようなら、おそらく、遊びはどんどん展開していくでしょう。幼稚園はプロの裁縫師を育てる塾ではありません。技術を高めることよりも、「できた!」と感動する体験を与えたい。ココロ動かされるなら、「ニセモノ」の方法だって構わないのです。もし、大人が「ホンモノ」であることに固執し、正しい製作方法を強制するようなことになると、楽しかった遊びは急に息苦しくなってしまう。
もともと人間は「ホンモノ」と「ニセモノ」の間を楽しむ能力をもっています(サンタクロースは実在しますか!?)。「ニセモノ」の発想を柔軟に取り込めると、楽しいことがたくさん起こるようになります。そして、「ニセモノ」であっても、「わあ、すごい!」と思える時、それは子どもにとっては紛れもない唯一無二の「ホンモノ」体験となっているのだと思います。言葉遊びのように思われるかもしれませんが、でも子どもの遊びって、そういう不思議で文学的なものだと思うのです。

2月の生活展でできあがったお店や商品を見るのも楽しいですが、「ホンモノ」と「ニセモノ」が混ざり合っていく今この時期のプロセスも、とってもおもしろい。迷いながら行ったり来たりしている時、子どもはたくさんのことを学んでいるはずです。おうちでも、子どもたちがどういう思考の旅をしているのか、ぜひ探ってみてください。