そして時は2020! この3月いっぱいで,大学教員になってまる5年が過ぎます。この5年,私なりに,ゆっくりと全力疾走してまいりました。色々と新たなお仕事をさせていただきましたが,思い出深いものの1つに,A市において特定の小学校に継続的に通い,主に若手の先生方と授業検討会を続けてきたことがあります。この取り組みも今年度で一応は区切りとなりそうで,備忘録として思い出を書き残しておこうと思った次第。

そもそものきっかけは,大学教員になるタイミングで,A市が行っていたあるプロジュクトへの協力を依頼されたことでした。そのプロジェクトは,いくつかの学校区を対象に,教育活動(主に学習面)を充実させるための支援を行うもので,スタッフの拡充や,ICTのサポートなど,様々な支援を柔軟に行うものだったようです。そして,その試みの1つとして,授業づくりを専門とする研究者を学校に派遣し,継続的な支援を行うというプランがあり,阿部が指名された・・・という経緯だと理解しています。

お話をいただき,「私なりに貢献できれば!」という思いを基本としながら,いくつか複雑な思いを抱いたことを覚えています。

1つは「謙虚であらねばならない」ということ。私は確かに,授業・教材づくりについて研究してきていましたが,振り返れば,基本的にはずうっっと「自分でつくる」「自分でやる」というスタイルでやってきていました。過程の中で色々な方とコラボすることもありますが,意識の上では,「私の授業」をつくりつづけてきたのです*1。カッコよく言えば(と同時に反省的に言えば),自分の作品をつくるアーティスト,クリエイターのような意識であったのだと思います。世間には,教育活動を効果的にデザインするためのモデルもたくさんありますが,そうしたものとは半ば意図的・戦略的に距離をとり,まずは記述しきれないような豊かな授業を,あえてモデルから溢れ出るような営みのある授業を,ということを志向してきていました(・・・ということをこの取り組みをとおして改めて自覚していく訳ですが)。そんな訳で,学校に入るにしても,まずは「謙虚であらねばならない」ということを強く意識するよう注意しました。自分は,「阿部が授業をつくる」ことの専門家だったかもしれないけれど,それがイコール「誰かに授業をつくらせる」ことの専門家ではないのだということです。もちろん,私は斎藤喜博でも向山洋一でもありません。「おまえの言うことは大したことではない」と自分に呪縛をかける。

一方で,これはなかなか大変なことです。この呪縛にあまんじている以上は謙虚ではいられるのですが,「で,おまえ何ができるのよ」と問われれば,言葉につまってしまう。ただの自己欺瞞ヤロウが遠慮がちなコメントだけして帰っても,新たな価値は生まれない・・・。

2つの幸運がありました。

1つは,私に授業づくり研究だけでなく,幼稚園での長期にわたるエスノグラフィー研究の経験があったことです。それも単に経験というよりは,この時まさに博士論文でエスノグラフィーをまとめたすこし後であり,「何かをつくる」だけでなく,現場で「何が営まれているか」を見つめ,そこに何らかの意味を見出すことに,ある程度の自信もあった時です(笑)。実際にうまくいっていたのかは分かりませんが,少なくとも長期的に現場におじゃまするということが未経験ではなかった。暗黙知的かもしれませんが,どうやって現場に入るか,どうやって混沌から意味を見出していくか,といったことについてノーヒントの状態ではなかったのです。目の前の壁は,絶壁ではなく,ボルダリングの壁のようなものに見えました。

そしてもう1つ,お邪魔することになった小学校の校長先生と早々にビジョンを共有できたことが大きかった。こちらの幸運の方が重要でした。校長先生ご自身も,外部からやってくる者に対して「御高説賜る」ことを求めているのではなく,むしろ外部者と責任者が結託しトップダウンで指示を出すことの危険性(反発されたり暖簾に腕押しだったり)もはっきりと認識していらっしゃり,「ボトムアップで」「急がず1つ1つ地道に」「仮説生成的に」という方針を,すぐに,はっきりと共有することができました。もちろん,モデルを先に提示し,そこへ向けて邁進することの有効性もあると思いますが,いずれにせよ,「ビジョンを共有できる」ことが何よりも大事なのだろうと振り返ります。(付け加えれば,何者かもわからない自分を信頼してもらったことには感謝しかありません。不安もあったでしょう笑。この経験に学びたい)

そんなこんなでプロジェクトが走り出し,何かを仕掛けながら,状況を見ながら,大目標の「授業力向上」たのめに色々とやってみました。授業検討会(後述)が主でしたが,阿部が授業をやってみせたり(うまくいかない時もありました泣),要望に応じて授業づくり講座をやってみたり,素麺を流したり笑・・・。研究授業の時しかやってこない「ヨソモノ」というよりは,もう一歩近い立場でかかわれたような気がします。大学教員になったタイミングで「研究の時間」とはちがう「学校の時間」を経験できたことは,今後の大きな財産になると思います。立場上,今後は「誰かに授業をつくらせる」機会がさらに増えていくのだろうと思いますが,謙虚さを忘れないように,迷ったらここに立ち返るようにしたい所存。


さて,とりとめもなく背景や大枠を書いてきましたが,一番書き残しておきたかったのは,授業検討会のあり方についてなのでした。

「授業力向上」が大目標なので,当然授業を参観し検討することが基本にはなります。では,どうやるか。授業検討会・・・よくある校内研での授業公開+講師のお言葉みたいなスタイルもあれば,ストップモーション方式のような本気でやると泣きたくなる手法もあれば,みんな大好き付箋ワークショップ型もあるでしょう。色々考えたのですが,結局,様々な枠をとっぱらって,ただ「おしゃべり」することにしました。共通の研究テーマも決めず,その先生のその日の授業をネタに,おしゃべりをする。観点もその時々でバラバラです。でも,それでよい,ということにしました。授業づくりにおける課題は一人一人違うはずですし,学校としての研究主題はべつにありますし,せっかく長期的にかかわれるのだから,一人一人にそくすということを徹底的につきつめてみよう。また,上からの指導をするのではなく,一緒に何かを積み上げていきたい。そんな思いからはじめました,おしゃべりを。まじめにゆるく,計画的な無計画で。放課後,授業をネタにおしゃべりするサークルが,ゆるやかに職員室にあるというイメージ(お菓子必須)。授業を肴に呑んでいるというイメージでもよいかもしれません(決して校内では呑んでません!笑)。あるいは,子どもが帰った後の保育室で幼稚園の先生が掃除をしながらその日のことを話すようなイメージ。結論を言えば,これがものすごく楽しかったのですね。

色々とかたちを変えながら「おしゃべり型授業検討会」を進めてきました。今になって振り返ると,次の点が特徴であったかと思います。今後の参考のために,メモします。

・希望制。キャンセル有。
阿部の訪問日は決まっていて,希望する先生のみが授業を公開する。見せたくない日は無理して見せなくてもよい。何なら当日キャンセルしたってよい。自由。何よりも「授業見せなさい」・「授業を見せないと」と迫る・迫られるのはいやだった。私は評価をしにいく訳ではない。評価されるのは時につらい。基本的には,こころがゆるやかなでのびやかな状態でないとクリエイティブな話はできないのではと思うため(異論ありそう)

・指導案は不要。
その場で起こっていることをできるだけ先入観なく見たいので,指導案は不要とした(他の場合でも阿部は同様の理由からあまり指導案を見ない:書いてくれる方スミマセン)。ただし,先生本人が書きたい場合は書いてもOK。自由。指導案がないと公開のハードルも下がるような。

・共通の研究テーマなし。
特定の研究テーマを設定し,その下で授業をしてもらうのではなく,その日の授業で起こっていたことからネタを見つけていく。その方が,「今〈その先生〉が悩んでいること」にリアルに触れられるのではと考えた。教科内容・授業技術・子ども理解など、観点を決めずに参観する。その場で素朴に感じたことを言語化しお伝えする。ただし,何度もおしゃべりを重ねるうちに,自然と先生方には「次はこうしたい,ここみてほしい」が出てきて,阿部にも「次はここどうなってるかなあ」が出てくる。それはそれでよい。

・「こうすべきだった」と切り出すのではなく、「こういうことが起こっていた」とお伝えした上で、どうすればよいか可能性について提案する。具体的な案がでない場合は,「どうすればいいすかねえ」と一緒に悩む(しかない)。わからんもんはわからん。阿部の力量不足もあるが,「それは悩んで良いことなんだ」と理解してもらいたいと思っていた。

・複数人で検討しない。1対1でおしゃべり。
時間の都合もありこうした形態に。複数・単独,どちらの良さもあったかもしれないが,阿部個人としては,「みなさん」へ向けた話ではなく,「あなた」へ向けた話をすることに迫られ,話の内容は抽象化よりは具体化へ向いたように思う。(また,今ふりかえると,「診察待ち」のようでもあった? お医者さんは何人も同時に問診しない,か)

・特に毎回の「おしゃべり」後半,教育分野以外の言葉で,比喩的な説明をすることが多かった。「おしゃべり」と言えど,授業の場で起こっていることを,すぐに適切に言語化するのはなかなか難しい(難しかった)。全力で集中して授業を見る必要があるし,記憶を総動員して適切な言葉を探そうとしなければならない。目の前の豊かな営みを,既存の言葉で説明できるも場合もあれば(かんたんな例では,協働の場面でZPDに言及するなど),そうでない場合もある(これも阿部の勉強不足という面はあるが)。それでもなんとか説明しようとすると,専門の言葉をはみだすことになる。知ってる言葉総動員。ゲーミフィケーションやメディアリテラシー,ゲーム理論,「大人だったら?社会だったら?」等の比喩語りが多かったかもしれない。どうやら,「そんな見方もあるのか」と「まなびほぐし」に役立ったようで,こちらの方が印象に残っているようだった。

・「研究」にしない
「この営みは面白い!」と途中から思うようになっていたが,それを研究そのものにしてしまうと,「こんなデータがほしい」という下心が出てきて,営み自体に影響してしまうかと思い,「実践」としてやりきることにした。(たとえば,それほど関連していなくても,積極的にゲーミフィケーションの話をしてしまうなど)(後述のように最後の最後にアンケートはお願いした)

以上。

このような「おしゃべり」をずっと続けてきた訳ですが,最後にC小学校の先生方にかんたんなアンケートをお願いしたところ,満足度や学びの実感度は高く,それなりに貢献できたか・・・と考えている所です(お礼,という側面はかなりあるはずですが)。最後は,ちょっとした検討会枠の奪い合いにもなっていたと聞きました笑。先生方も楽しんで学んでくれたのかと思います。今検証はできませんが,手応えはありました。

今回はこの「おしゃべり型授業検討会」の実践をやりきったのみですが,この経験を今後に活かして,今度は研究目線で色々考えたり,取り組みができたりしたらいいなあと考えています。そのための,一旦のメモでございました。若手の授業づくりを支える方法・人のあり方(工学的ではない観点から),授業づくりを支えるということの自己エスノグラフィー,ゲーミフィケーションなどの古典的教育学とは異なる知見を応用することの意味や可能性や限界,自分自身の専門についてなどなど,色々考えていきたい所です。

お世話になったみなさまに感謝。

*1 「〈あなた〉のつくりたい授業は何なのか?」を,常に,実存的に問われるということは,というのは今はなき千葉大大学院・カリキュラム開発専攻の文化であった・・・というのは一修了生の感想。もちろん子どもの学びが第一なのですが,それとは別の次元の話で。