10年ほど前、過去に運用していたブログに「タートル・トークの教育学」という雑文を書いておりました。とある事情によりここに転載します。

=====「タートル・トークの教育学(上)」=====================

先日、めずらしくディスニー・シーへ行きまして、タートル・トークというアトラクションに感銘を受けたのデス。タートル・トークとは、簡単にいえば、映画「ファインディング・ニモ」に登場する「クラッシュ」という亀さんとリアルタイムに会話できるというアトラクション。ワタクシ、「ニモ」も見たことありませんでしたが・・・。

授業や教材の良し悪しは、文脈をはなれては何とも言えないものだと思います。が、そうはいっても、あんな構成、あんなデジタル教材・・・憧れますね。学生さんの(出張)授業を指導していて、どうもコチラの言葉が足りないというか、うまく伝えられないような部分を、具現化して伝えてくれているもののように思えます。

アトラクションの内容を詳しく知りたくないという方は、この記事はスルーしてください。

———–スルーしましたか~?————

授業・教材づくりは、タートル・トークに何を学びうるか。なんて異端な問いでしょうか。

【さ~これからなにするの?】

クラッシュと対面するのは、船の底の展望室からという設定になっているのですが、展望室に入る前、その手前の部屋に集められます。そこでは、リアルな人間のナビゲーター(他のアトラクションにもいるような、ナビをしてくれる人)から、少々お話を聞きます。その導入はおおむね次のようなものになっています。

ナビ「こ~んにちは~」
客 反応薄いと・・
ナビ もう一回「こ~んにちは~」を繰り返す。

こうしたやりとりは、他のアトラクションでもあるような気がしますが、タートル・トークにおいては、特に重要なやりとりであるように思います。このアトラクションを楽しむためには、タートル・トーク側のアクションに、アクティブに応答することが必要になります。この後、デジタルな亀さんとリアルタイムでやりとりすることになるので。徹底の程度の問題もあるでしょうけど、反応がないことを良しとするメッセージをお客さんに伝える訳にはいきません。〈問いかけ―応答〉のチュートリアルと位置づけることができる導入です。挨拶でそれをやるというのがにくいですね。 (ちなみに、「マジックランプシアター」では、この類のやりとりはなかったように思います。途中はあるのですが、こちらはアクター(リアルな人)に直接問いかけられるので、全体がぶなんに進むのでしょう。)

(出張)授業の最初で、その授業の〈システム〉に導き入れることは重要。授業者は何を期待しているのか、何を良しとするのか、それは授業者によっても授業によっても違います。それが早い段階でうまく伝わっていないと、「こいつなにいってんの?」ってなってしまう。客観的に有意味な言葉を発していても、です。小学校低学年でもノートの取り方など最初にやりますよね。このへんをうまくやるにはどうすればよいかというのは、ゲームニクス・ゲーミフィケーション的な問いでもありますね。

【なんにも説明してない説明!?】

「こんにちは〜」の後は、展望室や船の説明などをスライドで行います。画像が投影されながら、こんな船なんだ~と説明がなされます。セピアの写真を見ながら、あれやこれや聞きます。一枚一枚の写真を見る時間は長くなく、ぱっぱっと。

「今日のゲストは誰?」というクイズも。A、B、Cの画像3種で、Cがクラッシュな訳ですが、Cの画像が他より大きく「選んでください~」という感じむんむんです。むんむんさを逆手にとって笑いをさそっていることになっているのですが。

そして、亀のクラッシュとどうやって会話するのかという説明。「ハイドロフォン」という特殊なマイクで通信するという設定になっています。「ハイドロフォン」の説明は、「とってもかんたん」と言いながら、複雑で、それを早口でまくしたてる・・「ね~と~ってもかんたんでしょ~」という笑いの誘い。

・・・これらの説明。ナビゲーターの説明ではあるんですが・・・結局なんにも説明してないんですよね。船の画像をパパっと見ても「勉強になった~」と思うことなどありません。Cがクラッシュだ~というクイズも、みんなクラッシュに会いに来てるわけでもあって、「何かを問うて知識を問う」という一般的なクイズ像とは異なります。クラッシュが来ることを知っている人たちが、クラッシュの大きな画像を見て、クラッシュが来ると言っているだけです。ハイドロフォンの説明が説明になっていないというのは・・・上の記述で分かりますよね。

これが説明でなく、何をしてるかと考えると、ただただ〈エモーション〉を高めようとしているだけなんです。ここでの〈エモーション〉という言葉は、とある認知科学とデザインを研究されている方に聞いた言葉です。CMや広告などでは、まじめに説明しようとするものは少ない。意味がないようなものを見て、でも商品を買いたくなっている。「有益だ」と意味を理解しているのではなく、ただただ〈エモーション〉が高まって購買活動に向かわせられるのだ・・・というようなお話でした。

タートル・トークでのナビゲーターの話、何も残りません。これはなんか素敵な船で(すでに外から見てる)、今日のゲストはクラッシュで(それを知って来ている)、ハイドロフォンで話す(上述のとおり)・・・無意味なのです。でも、期待を裏切らない。これからクラッシュに会えるんだ・・・Cのクラッシュ・・・やっぱり会えるんだ・・・と、分かってるよってことをもテンポよく確認され、ワンちゃんの「待て」というか笑、ただただ、期待、〈エモーション〉が高められているのです。説明によって知識が増えたから次の部屋へ進む・・・のではないのですね。

授業の側がここから学べることがあるとすれば、教師のはたらきかけすべてが説明ではないといったあたりでしょうか。初学者がうまいこと授業をつくろうとすると、どうしても情報が正しく伝わるように、「導管メタファー」的に、構成しようとしてしまいます。でも正しい情報をまっとうに発したからといって、それがそっくりそのまま受け取られるわけではない。情報の伝わり方は、郵便的であるし、多声的である。それまで状況や相手の様子によって、いかようにも伝わり方が変わります。その制御の仕方を、しつけ・まじめ路線で「導管」的に考えるか、〈エモーション〉を高めつつ共通のコードを仕立て上げてしまうのか(ファンタジーのちからを借りるってことです)で、授業者としての在り方はずいぶん変わるでしょう。「分かる」から教師の話を聞きたいのか、どうなのか。

なお、この〈エモーション〉路線で情報を伝えようとする仕方は、コチラのカウンセリング・ナンパ論での「トランス」の話と遠いようですごく近いもののように思えます。最近読んだので、付け加えて紹介しておきます。ナビゲーターの発話は、知識の「導管」的伝達ではなく、「トランス」のための〈エモーション〉操作といえるかもしれませんね。

こうした操作はもう少し続きます。「クジラ語」(?)のレクチャーです。「クジラ語」、ことばは日本語でも、変なイントネーションなんです。それがクジラ語かどうかなんて意味はもうどうでもよくて、ただただおもしろいから言ってしまうんだと思います。ここでイントネーションの意味なんかをまじめに説明されたら興ざめです。意味がないから意味があるんだと思います。

もひとつ付け加えれば、説明のためでないスライド(パワポ)のつくり方というのも参考になりますね。絵で見せる、テンポで見せる、という。あまりこういうスライドをつくってくる学生さんはみないですねえ。

【知らず知らずに知っている・・】

「伏線をはる」ということの重要性・おもしろさは、授業においても大事ですよね。たとえば、体験学習の事前学習で何を伝えるべきか・・など・・。

この前室でも、いろいろと伏線がはられていますよね。それが無駄がない。10数分のアトラクションなので、抜刀術のようなあざやかさが必要なのでしょう・・! ここまで書いてきたような軽やかなテンポのなか、最初のチュートリアル要素があり、クラッシュはもちろん、あとででてくる「ドリー」、「クジラ語」をさらっとやってしまっています。この意味ない風の伝え方が見事。〈エモーション〉にしくまれているというか・・。私のように背景をなんにも知らない人間には、そのときは目や耳をさらっととおりすぎていくだけの事柄なのですが・・まあ後で「ああ、ドリーだ」と思ってしまうんですよね。この時点で写真はセピアなのも、後にカラーと出会うことを思えば、見事ですね。やらしくない伏線!? ぎゃくに最後の「クラッシュに聞いてみたいこと考えといてね~」という発話は、やや分かりやすい。やや安易。これはこれでいいと思いますが、比較すると面白い。伏線というと、後者的なはり方になってしまいがちかもしれません。

息抜きのつもりでちょろっと書こうと思っただけだったのですが、思いがけず長くなりました・・。まだクラッシュに出会ってません・・笑。気が向いたら続きを書きます。

=====「タートル・トークの教育学(中)」=====================

もう1年以上前に、「タートル・トークの教育学(上)」なる記事を書きました。ディズニーシーのアトラクション「タートル・トーク」に学ぶ授業づくり雑感。ずっと続きを書いていなかったのですが、「エンタテインメントに学ぶ授業づくり」について学生さんにあれこれ話す機会がありまして、思い出しました。続きを書きたいと思います。(ACEの研修のテーマとしたのです)

まずは、前半の記事を見返しての付け足し。

【クラッシュに期待している人たち】

ACEを例に。われわれACEがやっているのは出張授業。日常の中で今日があり明日があり続いていくという授業ではなく、スパイス的に、特別に行うような授業です。日頃から期待を高めておくとか、知識を定着させておくとか、そういうことはできません。初めましてからの数十分で、幸せな結末を迎えるためにはどうすればいいか。一時の夢物語を演出するタートル・トークから学べるところは大きいと思います。

たとえば、タートル・トークの観衆は、クラッシュに会うことを期待してやってきている。話すにしても見るにしても、モチベーションがめちゃめちゃ高いはずです。

他方、出張授業のゲスト講師はクラッシュになれるか・・・。ようこそ先輩ならそうかもしれません。でも、すべてのゲスト講師がそういう意味での有名人であるわけではない。初めて会ったら「誰?」となってもおかしくはない。でも、せっかくのゲスト講師。うまく紹介したい。

だったらどうする。授業日までに、めちゃめちゃ(クラッシュくらい)の有名人になっておいてもらう!・・・もちろんそうじゃない。有名でなくともいい。当日までにすこ~しだけ期待を高めておくという仕掛けをしたい。少しだけでいい。クラッシュにはなれなくとも、「すでに知っている存在」くらいにはなっていてほしい。事前におもしろチラシを掲示する? 特別な◯◯新聞を配っておく? 等々。知っている人について問うなら、「クラッシュのABCクイズ」もできるでしょう。ぎこちない導入が、エモーショナルになります。ナビゲーターの解説で大事なのは、「有名である」ということを活かしてるということよりも、「関係がある(すでに知っている)」ということを活かしているということだと思います。

個人的には、事前アンケートをお願いする際、似顔絵付きの手紙を忍ばせておくなど、「予め関係をつくっておく・知っておいてもらう」工夫はやっていましたが、もっと徹底してもいいのかもしれません。

【正解させたいの? 盛り上がりたいの?】

今日のゲスト講師を知っているなら、「クラッシュのABCクイズ」は盛り上がります(もちろんABCクイズ以外にも方法はあると思います)。でも、知らないとどうなるか。知らないのに、「知ってる?」と問いかけられるとどうなるか。「知らない」としか答えられないですよね。

授業の冒頭で「今日何やるか聞いてます?」「今日誰くるか知ってる?」とちょっとした会話のつもりで言ってしまうことは、出張授業の授業者にとっては多いのかもしれません。でも、冒頭から知らないことを聞かれては気が沈むだけ。気をつけたい。タートル・トークに学ぶべきは「最初に聞くんだったら答えられるようにしておこう!」ってことになるでしょう。そのためのしかけをしてもいいでしょう。有名かどうかということでなく、すでに関係があるかどうかが導入の鍵です。

=====「タートル・トークの教育学(下)」=====================

最後はいよいよクラッシュの登場。期待を高められた後に登場したゲスト講師という役割なのか、何なのか。もちろん、いち教師の話術としても学べるところはあります。どちらかというと、これまで(上・中)は構成・演出に関する話でした。ここでは、どう子どもとやりとりするかというところへの示唆が中心となるでしょう!

クラッシュとのやりとりは、リアルタイム。当然、参加者によって毎回毎回違う展開になるようですが、大きな展開は決まっているようですし、細かなやりとりの方針も定まっているように思います。

【「パッシブ」への対応がニクイ】

自分から色々なことを問いかけてくるクラッシュ。登場から元気に「こーんにちはー」。返事の声が大きければ「おー元気だなー」。ところが、返事が小さい場合には「んー元気がないなーもう一度」と言われてしまうようです。

ちゃんと、「パッシブ」な反応にも対応するんですね。つまり、消極的な反応への対応です。「パッシブ」への対応はこのあともたくさん出てきます。子どもだけが元気に反応している時には「大人はどうしたー?」。挙手をした後、あてられると気づいた人が手を下げ始めると「おーい手が下がってるじゃないかー」。その他にも「◯◯に負けてるぞ―」「後ろ気抜いてるぞー」等々。それが、この場では笑いにつながっていくわけです。

これ、単におもしろおかしいというだけでなく、子どもへの対応にも示唆を与えてくれます。「パッシブ」の逆、「アクティブ」積極的な反応に対応することは比較的カンタン。先生が「◯◯な人ー?」と聞いて「はーい!」と元気に返事してくれたら、「おー元気だね―」とか色々ぱっと声が出てくると思います。他方、「パッシブ」な子にはどう対応するか。これはなかなか難しい。見かけ上は、「アクティブ」な子にだけ反応してても授業は成立しちゃうんです。出張授業や精錬授業は特に・・・。でも、ホントのところは「パッシブ」な子にも居場所をつくりながら授業を進めていかなければならない。

クラッシュは基本的に「いじる」ということで「パッシブ」を巻き込んでいきます。授業の場ではそのとおり「いじる」ことが必ずしも有効ではないと思います。でも「パッシブ」のことも見てるよー気にかけてるよーというメッセージを発し続けていくことは重要でしょう。クラッシュの「姿勢」に学びたいです。

【きびしい!? パッシブ・チェック】

「パッシブ」にぱっと反応することは簡単ではありません。「アクティブ」は、その名のとおり積極的なだけに、見つけやすい。「はーい」とあがった手を見つければいい。「パッシブ」は目に見えた反応が無い。なんであれ、無いものを見つけるのは大変です。

よく、場を観察しないといけません。ちらっと見て分かる「アクティブ」だけでなく、何が「パッシブ」なのか。何が在るのかでなく、何が無いのか。どこかにいるクラッシュの・・・声の人(!?)は、きっとめちゃめちゃ観察してるはずです。元気で楽しいアトラクションなので、アクティブな要素に注目が集まるのかもしれませんが、その実は、言わば「パッシブ・チェック」が仕事の成功失敗を分けるのでしょう。

授業でも「パッシブ」への反応が大事なのは言うまでもありません。そのための「パッシブ・チェック」、観察、です。この授業で、クラッシュより、よく探れるか。クラッシュならどんな無を見つけるか。

【君はどうなの?】

クラッシュは答えに窮すると、よく「君はどうなの?」と問い返しますね。すごく気になる聞き返し方です。こういう聞き返し方の意義ってカウンセリングの分野などで考察されてないでしょうか。

【ここだけのストーリーを紡ぐ】

おそらく、クラッシュとのやりとりで一番の笑いどころとなるのが、特定の人物や場所の名前が何度も何度も、特に忘れた頃に出てくるということでしょう。たとえば、最初に質問者として指名された阿部さんが、忘れた頃に「阿部ーなんで(あいさつ)やらないんだー?」と言われたり、別の人と話している関係ない文脈で急に名前が出されたりします。そうしたことが何度か起こります。

このおもしろさは何か。何度も名前を出していじることがおもしろい、というのがとりあえずの帰結となるでしょう。ただ、それ以上の意義もあるような。

一度呼ばれた名前・その人は、このクラッシュとのやりとりが行われる小さな物語の中で、言わばひとりの登場人物となります。その具体的な人物が、クラッシュに呼ばれる度、何度も登場する。その人が登場する度に、他のどこでもない、ここだけの特別な物語が紡がれていっているように思えてくる(言い過ぎ?)。一度登場した阿部さん。ここにいる人はみんな阿部さんを知ることになる。その阿部さんがまた出てくる。知っている人がまた出てくる。その阿部さんは他のアトラクションでは登場しないことをみんな知っている。ここだけの阿部さん、そのまわりの自分たち。ここだけの物語です。

知らない人の名前についつい笑ってしまうのも、そのここだけの物語感がおかしいからってのもあるのでは。通常、アトラクションって抽象的で誰がいても何度来ても大体同じ。でも、ここではなぜか阿部さんって人が出てくる。

何度も何度も名前を呼ぶということは、ここだけの物語を紡ぐのに一役買っている。特に出張授業のような一時の特別な場では、この発想は重要になるでしょう。自分たちが受講しても誰が受講しても同じなんじゃないかって感じがする、つるつるの決まりきったプログラムを展開されるより、自分たちが主人公でも脇役でもなんでもいいから役割をもって登場するような、オンリーワンのプログラムが展開されてほしいはず。そのために、阿部さんを登場させ、そのキャラをみんなで認識し、また阿部さんに登場してもらう必要がある。(算数の問題の解き方に「◯◯君方式」と名前をつけるのと似てますね)

でも、全員の名前を呼ぶのは難しい。タートル・トークで名前を繰り返し呼ばれるのは2〜3人のよう。1〜2時間の出張授業なら、2〜3人でもいいのかもしれない。主人公、主要登場人物がいて、他の子はたとえ脇役的であっても、その物語の中にいたり、その物語を楽しめたりすればよいのかもしれない。理想的には、普段の授業で主人公になれない子が、出張授業だからこそ主人公になれるといいなーと思うのですが。

毎回の(出張)授業で、授業者のあなたは、別々の主人公に出会っているか、そこだけの物語を紡げているのか。どこでも通用するプログラムを目指しながら、一方でそこだけのストーリーを紡ぐという、矛盾するようなファンタジーをつくっていく。ACEに限って言えば、我々の仕事ってそういうものなんじゃないかと思います。