※A幼稚園の園だよりに載っているコラムの転載です。

年度末に向けて、それぞれのお部屋での活動も大いに盛り上がっています。自分のやっていることに自信をもち、闊達に遊び回る子どもたちの姿が浮かんできます。生活展も近づいてきていますね。当日もきっとそうだと思うのですが、子どもたちが、自分の作ったものを誇らしげに見せてくれたり、お店のことを熱く説明してくれたりすると思います。

さて、それに対して大人はどうするか? できれば、子どもたちの気持ちが「アガル」ような気の利いたコメントを返したいものです。私たちにとってこの時期は、子どもの社会の出来事、ニュース、事件(!?)といったものについての「コメンテーター」であることが求められる時期なのかもしれません。

よいコメンテーターになるにはどうすればよいか?(笑) ポイントは、「子どもの先」を行くのか、あるいは「子どもの後」を追うのか、という2つを意識することです。

大人である私たちは、当然ですが「子どもの先」を生きています。生まれて数年の子どもたちより、経験も知識も豊富なはずです。たくさんの感情も知っています。すると、つい「子どもの先」を行くようなコメントを乱発してしまう。その子にとっては1つ1つ順を追って丁寧に説明することが大事でも、勘よく「ああ、こういうことでしょ」「知ってる、前もこんなお店があったよね」と、子どもの説明を先回りしてコトバにしてしまう。それがダメということではないのですが、いつもいつも「子どもの先」タイプのコメントでは、きっと、正体不明のモヤモヤ感が子どもの方に残ってしまうでしょう。

そこで、「子どもの後」を追うコメントも考えたい。たとえば、「子どもの説明がわかりにくい、きっとこういうことだろうと予想はできる、こうでしょと言いたい」…けど、まずは話を聞く。そして、「なるほどね!」とついていく。あるいは、「見て見てと言われたんだけど、きっとこういう事が起こると想像できる、こうなるんでしょと言ってしまいたくなる」…けど、まずは見る。そして、「すごいね!」とついていく。大人だから「先」を行ける…けど、あえて「後」を追う、という発想です。

子どもが何かを伝えようとする時って、大体の場合その子は評価をしてほしかったり正解がほしかったりするのではなく、まずは誰かに共感をしてほしいだけなのかもしれない…と思うのです。「先」タイプのコメントは指導と相性がよく、「後」タイプは共感と相性がよいように思うのですが、どうでしょうかね。

(おまけ)私がA幼稚園に魅せられるのは、「あえて後を追おう」「あえて共感しよう」なんて無理に考えなくとも、「超、すごい!」「超、面白い!」と素直に思えるようなお店や出来事に、毎年出会えるからなのだと思います。私は大人で、子どもの「先」を生きていると思っていたけど、このA幼稚園では、子どもの発想の方が何歩も「先」を行っている!…と思える瞬間に出会えます。遊びこんだ先に、大人の想像を子どもがかろやかに越えていく。本当の意味で大人が「子どもの後」を追っていくことになる。 そうした構造をもつ実践はめずらしい。 そこにA幼稚園の魅力(の1つ)があるのだと思っています。