別に書いたとおり、柏市立土小学校の校内研究のサポートにうかがっている。探究的な学びを創造していこうという大目標のもと、先日は学校の先生方に対して「探究的な学びを支える10のキーワード」と題したお話をした。教科学校種とっちらかった研究自分史20年をふりかえり、抽出したキーワードである。(余談:したり顔で国の代弁をするのではなく、自分の素手感覚のある言葉で伝えたかった)
http://abemanabu.net/archives/2431

それから10日ほど経った昨日、教育ミニ集会に参加した。今回の土小の教育ミニ集会は、総合・生活のカリキュラム構想を保護者・地域等の方々に説明し、協働のアイデアについて議論するというもの。学年ごとに分かれ、当事者らが集い行っている。つまり、表面的な意見交換ではなく、各学年で本当にこのあと「ともに」取り組むことについて話し合うことが目指されている。
https://kashiwa.ed.jp/tsuchi-e/blogs/blog_entries/view/244/03754249604c8ba9a5e6932d2343da18?frame_id=250

冒頭、ご依頼をうけ、先生方にお話したから10のキーワードの中から3つについてお話した。その後の話し合いも、この3点を手がかりにして行われた。
・「正式な依頼」と「利他的な学び」
・本気で「ごっこ遊び」する
・「リソース」と「リミッター」

まず、数十人が集まり熱のある話し合いがなされている状況に「こんな場をつくることが可能なのか」と衝撃を受けた。学校・地域のみなさんにとっては「よくあること」なのかもしれないが、だとすればなおさら衝撃である。もとより熱気のこもる体育館であったが、個々のエネルギーが次第に一つとなり、龍のような姿となって会場中を暴れ回っているように感じられた。

そして、自分の言葉(キーワード)が、同ジャンルにいる「先生」だけでなく地域の方々にも実際に使われていく様は、普段あまり出会えるものではなく、大変興味深いものだった。もしかしたら、私の意図とは違う意味合いで使われているチームもあったかもしれない。でも、それこそに意味があると思う。言葉は、使用されることで命が吹き込まれるものだ。そして、使用のプロセスでは、ズレや誤配が必ず生じる。ズレや誤配があることは、その言葉が「生きている」ことの証だろう。正しさを探ろうとせず、遊び心とともにどんどん使ってほしい。

自分の実践から抽出された言葉が、別の実践に届けられる。旅立った言葉たちは、龍の背にのって、どんなふうに育っていくのだろうか。1年後に、同じ形の言葉が、まったく違う意味で使われていたらおもしろいと妄想をする。研究のサポートのために行っているはずなのだが、のっけからこんなにおもしろくていいのだろうか(自分が行く意味があるだろうか笑笑)と思う。