先週末、NPO法人企業教育研究会(ACE)20周年特別企画「日本の教育をアップデートする」がスタートしました。今年、産官学のトップランナーの方々をお招きしながらのディスカッションを、全7回のセッションとして行っていきます。特設サイト→ https://ace-npo.org/achievements/20th/index.php

初回のテーマは「起業家教育」でした。私は起業家教育それ自体が専門という訳ではありません。その分、軽やかに、いい意味で無責任にくるくると思考をめぐらせることができたように感じています。

そこで考えたことのメモです。

登壇者の皆様からは、起業家教育に関する様々な取り組みの紹介がありました。もちろん、日本の産業の厳しい状況なども話題にはあがります。しかし、起業家教育に熱意をおもちの方が沢山いることや、ユニークな実践も重ねられていることなどを聞いているうちに、この門外漢は「あれ、何か問題でも?」という気持ちになっていきました(笑)。起業家教育を、この調子で、このまま進めていけばよいのではないかという気になってくるのです。よい事例を聞いている分、問題を見失ってしまう感があったということなのかもしれません(私個人の認識です)。

他方で、現実には私たちが掲げたテーマのように起業家教育の何かしらを「アップデート」する必要はあるのだろう(このままではいけないのだろう)という直感のようなものも確かに存在する訳です。

では、一体、起業家教育の何をアップデートすべきなのか。登壇者のお一人である千葉大IMOの片桐大輔さんから次のようなお話があったときに、自分の中で回路が繋がるような感覚がありました。学生のスタートアップ支援のラボを立ち上げるにあたり、学生が相談しやすくなるよう、HPにご本人が描かれたゆるいイラストを載せたという小話です。この話は、当日のディスカッション全体からしても、起業家教育そのものの探究からしても、本質的ではない部分であるようにそぼくには思われます。でも、私はこのお話がすごくおもしろいと思いました。当日の質問投稿アプリに次のような話を投げていました。

片桐さんが見せてくださったご本人のイラストは、テーマの本質とは違うのかもしれませんが、示唆的と感じました。起業家教育と聞くと、多くの人はシリアスで大変なものだというイメージを抱くかもしれません。「小学校に起業家教育を!」と強く迫ると反発もあろうかと思います。他方、こういう遊びとか緩さのようなものが、多くの人にとって教育の入り口となるのかもしれないと思いました。

ここに書いたように、起業家教育のアップデートのための私の無責任な考えは「起業家教育に裏口をつくる」です。起業家教育でもそれ以外でも、何かしらの教育実践に熱心に取り組めば取り組むほど、私たちはその意味、本質、価値、効果…みたいなものをシリアスに語りたくなってしまうものです(念の為言うと、そのようなものを発信していくことは、疑いようもなく大事なことのはずです)。しかし一方で、いま起業家教育に距離を感じる<多く>の人たちにとっては、その意味、本質…エトセトラがシリアスに語られるほど、起業家教育がさらに距離を感じられるものになってしまうのではないかと懸念されるのです。ああ、自分たちには関係のない話だ、自分の素手では触れられない次元の話だ、と。もちろん、<多く>の人の意識をよき方向に変えようとすることも大事なのかもしれませんが、人の意識を正面から変えていくことはなかなか簡単でもないでしょう。正面の入り口は多くの人たちによって飾られつつある。そのゲートは大変カッコいい。シリアスだ。しかし、その入口に「入りたい」人は多くはないのかもしれない(起業家教育に関心のある一部の人たちではなく、<多く>の人たちを想定したときの話です)。ならば、裏口をつくりたい。そうした意味で、先の例のようにイラストにクスっとして連絡をとってみようと思ったということがあったなら、それはたいへん示唆的です。イラストが起業家教育の本質なるものを変える訳ではありませんが、距離を感じる人への別の入り口は用意できるかもしれない。「まず、扉をあけてもらう」ことが可能になる。

シリアスさを身体いっぱいにためこんで起業家教育にのぞむばかりではなく、非本質的な入り口、非まじめな入り口、遊び心ある入り口、意味なんてない入口――裏口から入ってもいいのではないか。そんな道「も」あってよいのではないか。遊びの余地があってもいいのではないか。起業家教育の裏口から入って、なんだか分からないけど楽しい経験をつんで(遊びの目的が遊びそれ自体であるように、ここでの遊びも起業が目的ではない方がよいと思います)、気づいたらそれなりに起業家精神が涵養されていた。それで「も」いいじゃないか。そんなことを考えました。

半歩だけ具体的に言えば、ゆるさとか、リトライ可能性とか、短時間化とか、賑やかし歓迎とか、ぷち参加とか、そういう余地や要素のある教育実践が、起業家教育全体を豊かで開かれたものにしていくのではないかと思います。(そうした意味では、先のイラストの例とか、弊会の開発したゲーム性ある教材とか、そうしたことが示唆する所を、もっと<シリアス>に語っていく必要があるのかもしれません。)

もちろんこれは無責任(!?)な考えです。多くの人の尽力によるシリアスな成果(正面入口)を前提として、そこでもっと遊ぼう(裏口)という提案です。シリアスな成果なしには、いいかんじの遊びは成立しません。正面がないと裏もない訳です。シリアスさがなくなり、遊びの要素だけになってしまっては、その活動は悪しきおふざけに堕落してしまいます。遊びがシリアスさにとってかわることを目指すのではなく、シリアスさの中にある遊びの要素をていねいに見つけ記述し発信したり、どこかのあいているスペースに遊びの余地をつくったり、そういうことが大事なはずです(なんだかアップデートっぽくないですか)。私(たち)がすべきは、「起業家教育」を仕掛けていくということではなく、「起業家遊び」の余地を生み出してしていくということかもしれない。

以上、速記的に書きました。めちゃめちゃ粗いですが、いったんのメモです。私は先日のセッションでこのようなことを考えたのですが、ご参加の皆様はいかがだったでしょうか。主催者の一人として、このイベントが誘発性にあふれるものだったなら嬉しいです。次回は5/20(土)、テーマは「主権者教育」です。もう少ししたら申し込みページがひらくと思います。ぜひご参加ください。