A幼稚園の園だよりに載っているコラムの転載です。

ピカピカ光る泥団子づくりに挑戦されたことはありますか? 子どものやっていることではありますが,これがなかなか難しいのです。泥団子づくりの教科書をバッチリ暗記したとしても,おそらく思い通りにはいかないでしょう。実際に自分の手で砂に触れ,手のひらの感覚を充分に使って,じっくりと砂や水と向き合わないといけません。

子どもたちも泥団子をつくりながら,その小さな手で,いろんなことを感じているのでしょう。砂と水の混ざり具合,微妙な力加減,つくりながら湧いてくる気持ちなどなど,いろんなものにココロを耕されながら,自分の外の世界とかかわる感覚を養っているのだと思います。

幼児教育の目的は,言葉では表現しづらいものです。数学の公式を暗記させるようなものではないとして,では何と言えばよいか。1つの答えは,こうした「素手で世界にふれる感覚」を養うということなのかもしれません。子どもたちは,自らの素手で世界にふれることをとおして,身体感覚や感性,他者意識などを育んでいくのでしょう。

ところで,A幼稚園の子どもたちは,長い時間をかけ,まるでホンモノと見紛うようなリアルな商品をつくっていきます。最終的にこれだけリアルなものをつくるのなら,最初からホンモノや,完成度の高いものをつくれるキットを渡してしまえば早いと思われるかもしれません。しかし,そこはやはり「素手感覚」が重要なのでしょう。たとえ時間がかかったとしても(むしろ充分な時間をかけて),自らの手を動かし,イメージを形づくっていくそのプロセス自体が教育として重要なのだと思います。

園内でお買い物をする際にも,通貨「ガバチョ」を手渡しします。この一瞬のやりとりの中で,子どもたちはお金の計算方法を学ぶだけでなく,つくったものを買ってくれた嬉しさとか,自分で選んだものを買うときのドキドキとか,いろんな気持ちを抱くことになります。こうした自分の外の世界にふれるプロセスを,幼児期の教育として大事にしたいものです。

一方で,テクノロジーの発展により,社会の中において自分の手で触れられないものも増えてきました。たとえば,キャッシュレス決済はとても便利なものですが,その動作は私たちの素手を離れたところで機能します。大人の私たちでも,そこで何が起こっているのかを正確に説明するのは難しいのではないでしょうか。「素手で世界にふれている感覚」がないまま,何となく物事が動いていくような世の中となっています。裏を返せば,何も考えずに便利さを享受できるということなのですが,「素手感覚」を育みたい幼児教育においては重大な課題が生じていると言えるでしょう。

いま,年長組さんでは,キャッシュレス決済の導入が試行錯誤されているようです。この試みは,キャッシュレスの仕組みについて知ることがゴールなのではなく,泥団子にふれるようにキャッシュレスの世界に素手でふれることができるのか,という世界初の(?)挑戦なのだろうと思います。