NPO法人企業教育研究会(ACE)20周年特別企画「日本の教育をアップデートする」が進行中です。教育界の重要テーマについて産官学からのゲストとディスカッションする連続シリーズとなっています。おかげさまで、毎回たくさんの方々にお越しいただいております。感謝申し上げます。

6/17(土)に開催されたSESSION 3 のテーマは「いじめ」でした。当日は、こども家庭庁設立準備室においていじめ防止対策の立案を担当された野﨑光寿さんにもご登壇いただき、かなり「広角」に思索することができたと思っています。こども家庭庁のいじめ対策への考え方を知ることができ、大変よき学びとなりました。

他方で、よりミクロな授業づくりを専門とする者からすると、やはり教育の「方法」、いじめ防止「教育」の何をアップデートしうるかも気になる訳です。

北海道大学の加藤弘通先生(発達心理学)からは、発達なるものに関する示唆的な話をいただきました。(当該分野では基礎的なことだと思うのですが、専門外の者からするとふだんはあまり考えないような場所がライトで照らされるような思い)

子どもは発達によって、他者への想像力が養われていく。そしていずれ「自分が相手に対して抱いている思いを、相手がどう思っているか」といったことまで分かるようになっていく。なるほどこうした発達は、コミュニケーションの深まりが促されるようで、素朴には望ましいことのように思われます。他者への想像力が養われたならば、そのことを基盤に誠意や思いやりをもって他者とかかわれるようになるかもしれない。しかし、他者の心が読めるのであれば、そのちからをよくない仕方でも使うこともできてしまう。たとえば、巧妙に意地悪をするとか、そういうことも可能になるのだろうと考えられます。今回のテーマにひきつければ、「人は発達するからこそ、いじめをするようになる」と言えるのかもしれません。(こちらの記述の責任は筆者にあります、念のため)

私自身、情報モラルに関わる話からはじまり、脱・傍観者教育、SOSの出し方教育、最近のCHANGERS教材など、10年近くいじめ防止に関する教材開発を行ってきました。基本的には、いじめに関する複雑な状況をリアリティをもって描くことを方針としてきていたのですが、上の話をふまえると、教材にリアリティがあればあるほど「こうすれば誰かに嫌な思いをさせられる」ということを学習させるリスクも生じてしまうのでしょうか?

これまで自分が行ってきた教材の効果検証や、現場からいただく声などからすると、教材によっていじめが冗長されるようなことはなかったと理解されはするのですが、それでも、自分のつくってきた教材に本当に(どんな)意味があったのだろうか?と改めて考えさせられます。今後もひとつひとつ教材をつくっていくことになりますが、より一層、丁寧につくり実践していかなければと、自己批判的に思います。こうした課題に向き合うことが、私自身に課せられた「いじめ防止教育のアップデート」なのだろうと考えているところです。