※A幼稚園の園だよりに時々コラムを書いています。その転載です。

先日の「お祭りひろば」は、たいへん盛り上がっていましたね。いつもとは違う雰囲気の中、にぎやかな笑い声にあふれていたと思います。おうちの方から見る子どもたちの表情も、いつもとは少し違ったものになっていたのではないでしょうか。ふだん触れることのない特別なお店、食べ物、おもちゃなどを前にして、はしゃいだり、ときに怖がったり。「こんな表情をすることもあるんだ」「いつのまにか成長したんだなあ」と感じる場面もあったのではないかと思います。思い返せば、私(たち大人)が子どもの頃も「お祭り」は特別なものであり、ふだんとはちょっと違ったことを経験できる、儚くも楽しい時間であったような記憶があります。

なぜ、「お祭り」は私たちにとってこんなにも楽しく、特別なものになるのでしょうか。遊びに関する研究の中では、「お祭り」も遊びの一種と位置づけ、その特徴を分析するものがあります。それによると、「お祭り」には――私たちの実感と同じように――日常のルールや役割が緩んだり入れ替わったりして、ふだんとは違う場所や空間、そして関係性を生じさせるちからがあるというのです。そして、その結果として、「お祭り」は人々の「笑い」を引き出すとも言われています。ちょっと難しい言い方をしましたが、たとえば、高校の文化祭なんかで、ちょっとやんちゃな遊びをしても先生が笑ってくれたり、先生の方が意外な特技を見せてくれて大ウケしたりといったことはなかったでしょうか。「お祭り」は、常識をのっとり、人々の隠れた一面を見せ、それを笑いのかたちで受け止めてくれる、不思議な営みだということです。ときに人生には、「お祭り」という刺激が必要なのかもしれません。

もう少し考えてみると、日々の保育においても「お祭り」的な時間――小さな非日常――があるのだと思います。これからやってくる林間保育、運動会などのイベントがイメージしやすい例かと思います。あるいは、小さな子が初めて年長さんの部屋に出かけていくようなことも、その子にとっては「お祭り」的な意味をもつのかもしれません。生活と、お祭り。日常と、非日常。安心と、冒険。穏やかな時間と、笑いの時間。これらのどちらか一方でも子どもは育っていかない。双方を行ったり来たりしながら、ところどころで色んな顔を見せながら、子どもは成長していくのだ――そして、それを支えるのが保育という営みなのだ――そんな風に考えることもできるのではないかと思います。